gsf1200、コケる
引っ越し先には砂利の駐車場しかなくて、
仕方ないからサイドスタンドに当て木して駐車してたんだけど、
それがおそらく甘かった。大雨の翌日こうなってた。
クラッチレバーは根元からへし折れ、ミラーホルダーもポッキリ。
折れたミラーが直撃し、タンク損傷
リアウインカーレンズ破損
スズキのバイクは相性悪いのか、ボロボロになるジンクスがある。前に乗ってたイナズマ400も、買った初日に大転倒。その後も散々こけてボロボロになった挙句事故で大破した。ヤマハでこけたことは一度もないのに。
幸い部品代は全部で5000円で済んだが、タンクの傷だけはどうにもならない。
こういうのは故障状態を放置するほど萎えるのでササッと部品発注し修理完了。気晴らしに桧原湖へツーリング。やっぱりバイクは乗ってなんぼだな。
gsf1200 不調の沼
1年で何とか乗れるようになったgsfだが、結論から言うといまだにエンジンの調子が悪い。
まず症状はこんな感じ。
・アイドリング時の吹き返しが酷く、まともにアイドリングしない。
・吹き返しは気筒バラバラで発生。吹き返すたびガタンとエンジンから音がしてアイドリングが落ち込む。
・排ガスが臭く、生ガスを吐いている感じ。
・アクセルを撚ると4000rpm付近で引掛りがあり、それ以降はきれいに吹ける。
やったこと。
・エアクリ、バッテリー、プラグ新品交換。→改善せず
・キャブは元々オーバーフローしていたのでオーバーホール。各部パッキンと、パイロットスクリュー、ジェット類は新品交換。→改善せず
・キャブ同調取る。→改善せず
・中古良品キャブ購入。前キャブから新品部品移植→改善せず
・メイン1段上げ、ニードルじのクリップ位置、1段濃い目に。パイロットスクリュー3回転戻し(スロージェットは手持ちがないためノーマル) →かなりまともに走る。が、元のセッティングに戻すと全然ダメ。
このあたりで理性が飛ぶ
・コンプレッションゲージ買って圧縮測る→異常なし
・タペットクリアランス調整→異常なし
・ウオタニsp2イグナイター&コイル購入→改善せず
・自分で塗ったタンクの塗装の出来の悪さすら気になりだす。→もう一回タンク塗装(笑)
結局、不調の原因はキャブなんだろうけど、各部点検してジェットやパッキン変えてダメだったことが今まで無かったので、結構堪えた。
gsf1200のBSTキャブはフロートの支点がパッキン固定だったり、ニードルジェットの部分が樹脂ブロックになってたりと、特殊な部分が多いので、その辺がキモなんだろうな。
近々キャブOH再チャレンジしてみるか。
gsf1200 購入編
18で中免を取ってから、イナズマ400⇒srv250ルネッサ⇒fz400(4YR)と、コロコロと乗り換えてきたが、21の歳に大型免許を取ったので、大型でカフェレーサーを作りたくなってgsf1200を買った。そこそこの安さと、油冷エンジンの美しさ、そしてコンパクトな車体に低速にトルクを全振りした設計が決め手だった。
ヤフオクで10万円の不動車を引き取ってきた。数か月前まで乗ってたという代物をろくに現車確認せず買ったのだが、案の定とんでもないボロ車で、前後キャリパーは固着、タンクは錆びて穴があいており、キャブはスロットルが固着、オーバーフローしてクランクケースにガソリンが溜まっていた。
一年がかりで何とか乗れるようになるまで直した。
ざっとメニューはこんな感じ。
修理
・前後スプロケット、チェーン新品交換
・前後タイヤ新品交換・前後ブレーキ、マスターOH、パッド新品交換
・キャブ中古良品と交換、OH
・燃料コック中古良品と交換
・タンク塗装
・フロントフォークOH、アウター塗装
・プラグコード、キャップ交換
・タペットクリアランス調整
カスタム
・フロントキャリパーピストンをカシマコートのものに交換
・サンセイレーシングのセパハン
・無名ヘッドライトケース
・無名ウインカー
・sr400純正ヘッドライトレンズ・ハヤブサ純正クラッチマスター
・デイトナスピードメーター
・バーエンドミラー
・ヤフオクで買ったアルミメーターバイザー
・pc37純正リアショック
何とか乗れるようになったものの、なんだかエンジンの調子がおかしい。
こっから沼にはまる。
生い立ち
僕は広島の世羅町という結構な田舎の出身だ。
その田舎の中にあって、さらに田んぼしかないような場所の、とある栗林を、親父がチェンソーとユンボで開墾し、そこに自力で建てた家で僕は生まれた。
↑当時感ある写真だが、最近趣味のフィルムカメラで撮った我が家。
両親は二人とも県南部の出身で、親父は北の国からに感銘を受け、(北の国ではなく広島の北の方に)移住したのだという。
そこでの暮らしは、今の僕に大きな影響を与えている。水道はなく、風呂は灯油ボイラーの風呂釜で沸かしていたし、暖房の主役は薪ストーブでトイレはボットン。畑や田んぼの手伝いもよくやったし、味噌づくりは毎年恒例の行事だった。鶏がたくさんいて、毎日卵を取りに行ってた時期もあった。
親父が建てた家は基礎無しの小屋のような作りで、しょっちゅう雨漏りはしていたし、隙間風はひどく、冬は晩に食べた鍋の残り汁が朝方凍っていたことがあるほど寒い家だった。ピカピカの自転車や流行りのゲーム機は持ってないし、テレビもNHK-BSしか映らなかったものだから、普通の子の生活が羨ましかった時期もあったが、今思えば生きることのすべてが実家には揃っていたと思う。
僕はものづくりが大好きな子供で、小さいころからよく工作をしていた。工業高専に進学すると、バイクや車にはまり、研究室でよくバイクを弄ってた。
卒業後は大企業に就職して、いわゆる安泰コースに乗ったのだが、いつかは親父のように自分の手で自分の生活を作るんだと、そんな目標は常にあった。
とにかく、街なかで何千万の家をローン組んで買って暮らすような人生は僕の頭にはなかった。
会社の同期に奇跡的におんなじ境遇の奴がいた。車仲間になり、バイク仲間になり、キャンプ仲間になり、登山仲間になった。そして移住仲間になった。
彼とこの先も面白いことがやれそうだ。
福島は喜多方から、生存報告を。
さて、仕事を辞めた僕が移住先として選んだのは福島の会津だった。
仲のいい会社の同期と、会津で一旗あげようと、一緒に辞めて、宮崎から車で乗り込んだ。
会津はその同期の生まれ故郷。去年の7月に一度訪れたが、一瞬で心奪われた。東に磐梯山、西に飯豊連峰。広大な会津盆地に猪苗代湖。そして豪雪地の古民家と人の暮らし。奥会津には時が止まったかのような美しい里山の風景が残っている。まさに理想の田舎だった。
僕はもともと広島の田舎育ちだから、地元に帰る選択肢も当然ながらあったが、どうせ田舎に行くなら目一杯理想の田舎がいいだろうと考えた。そして、誰も自分を知らない土地で、一から自分の生活を作ってみたかった。そう考えたら半年後には会社を辞めていた。金もほとんどないし、金になるスキルも何もない。自分は今「持たざる者」として会津にいる。
というのは若干大げさで、ご縁があって喜多方市の地域おこし協力隊として働かせてもらっている。業務内容は鳥獣対策。田舎暮らしにはもってこいのスキルが身につくと考えたからだ。まだまだ駆け出しだけど、何とか生きている。
マーチなんちゃってアウトドア仕様
後期型のバンパーって、なんだか怒り顔で好きじゃないんですよね。
前乗ってたマーチは、前期型で、顔はすごく気に入ってた。
刷毛塗りで全塗したり、学生なりに楽しんでたなぁ。
というわけで、社会人は金に物を言わせ、中古の前期バンパーを購入。
この気色悪い配色でしばらく乗りました。ちなみにこの頃ルーフラックを装着。上に載ってるのは外したバンパー。
チッピングブラックでぬったらいい感じになったよ。
タイヤはファットな感じにしたくて、185/70/r14に変更。e12ノート純正サイズです。ホイルはラッカーで軽く塗って、センターキャップとロングナットで化粧してみました。
車高はかなりあがって、砂利道も余裕で突っ込めるようになりました。マーチはもともと地上高ひくいからね。タイヤハウスへの干渉はないけど、運動性能は落ちるのでおすすめはしないです。